SMの歴史
SMの女王様と言うと一般の人は何故かドミノマスクを着けている人を思い浮かべがちです。
それは何故か?なぜ女王様と言えばドミノマスクなのか?
そもそもSMはどういった経緯で生まれたのか?
それはヨーロッパの「サロン文化」無しには語れません。
それまでヨーロッパの社交界というのは、先にも書いた「舞踏会」がメインでしたが、その場は徐々に「サロン」に移行していきました。
「サロン」とは教養のある貴婦人が芸術家や文化人、思想家を屋敷に招く集まりのこと。
まぁ茶でも飲みながら語らう交流の場です。
つまり、交流の場がクラブイベントからお茶会になったようなものでしょう。
文化の中心は数多くのサロンに移っていき、やがて「サロン文化」を形成するようになります。
そしてそれらのサロンは革命的な思想を育んでいき、これがやがて「フランス革命」に繋がっていきます。
18世紀ごろになると上流夫人たちがこぞってサロンを開き、身分を問わず競い合って一流人を招きました。
それらのサロンでは自由で批判的な精神が愛され、思想は分かりやすい会話の中で伝えられていきました。
そして、後にそこから三権分立の思想を基礎づけたモンテスキュー、人間の自由と幸福を説く立場から文明批評をしたヴォルテール、啓蒙思想の金字塔と言われる「百科全書」の編纂者ディドロ、ダランベールらが巣立っていくことになります。
しかし、中には「秘密クラブ」的なサロンもありました。
それが、同好の士だけがこっそり集まって遊ぶ「SMクラブ」の原型でした。
元々サディスト的、マゾヒスト的な志向を持つ人はヨーロッパには数多くいました。
一番有名なのが、「サディズム」の語源にもなった小説家マルキ・ド・サド侯爵と、「マゾヒズム」の語源となった小説家マゾッホでしょう。
サロン文化の開花により、当時の貴族の「好事家」たちが隠れて行う「知的な遊び」それがSMでした。
そのプレイの際、敢えて個人を特定せず、新たなキャラクターになって想像を膨らませる小道具として「仮面」が使用されていたようです。
女王様と言えばコルセットに長手袋、乗馬鞭、仮面が一般的なステレオタイプなイメージだろうけど、当時それらは普通に身の回りにあるものでした。
コルセットは当時の下着であり、長手袋や仮面は舞踏会に身に着けていく物であり、馬に乗るのが一般的な時代でしたので乗馬鞭も活用していたわけです。
それが現代にまで継承されているのが、SMという文化の歴史の大きな流れのひとつになっています。
ヨーロッパでは今でもこの伝統が残っているので、女王様は風俗嬢ではなく文化人として位置づけられているそうです。